TOP/御由緒/境内のご案内参拝のご案内福山八幡宮会館
 
 
御名 譽 田 別 尊(ほんだわけのみこと)     人皇第15代   
   多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
御名 市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)   宗像三女神
   多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)

御名 息長帶比賣命(おきながたらしひめのみこと) 應神天皇御母君
  
  誉田別尊は、一般に応神天皇の御名で知られ、八幡さまとして親しまれています。
  記紀神話によれば、筑紫国(現 福岡県)でお生まれになられて後、神功皇后が摂政の時大和に戻り
  皇太子になられ、そして第15代の天皇に即位されました。
  天皇として治世の間には、優れた学者をはじめ進んだ大陸文化の技術を積極的に導入され、日本文化
  の興隆をはかられました。
  そのため、国家鎮護、文化教育、農業を始め商工業・殖産興業などの事蹟において諸々の災難を祓い
  除け成功へと導く諸願成就・生活の守護神として崇敬を集めています。
 
  比売大神の3神は、アマテラス大神とスサノオ尊が高天原で誓約の際お生まれになられた御子神で、
  宗像三神とも呼ばれ、海の守護神として北九州の玄界灘に降臨されたと伝えられています。
  その御神威は、とくに「道」の要衝を司り航海安全・交通安全の神とされ、また、国家防衛の守護神
  としても知られています。
 
  神功皇后は、新羅の神託の時 胎内に御子を宿す体にもかかわらず自ら指揮をされ事を成し遂げられ
  ました。
  その功はまさに神威の力が宿りしものとされ、後にその時の御子であった応神天皇は武神として信仰
  されることとなり、また無事出産を迎え立派に御子を育てられた神功皇后も安産・子育ての神として
  崇められようになりました。
  
  当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されて
  いました。
  その後天文年中(1532−55)に杉原播磨守が社殿を新に造営、毛利輝元、福島正則等の為政者も信仰
  厚く報賽されていたと伝えられています。
  元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営される
  事となり、2つのお社は夫々延広小路、野上口へと遷されました。
  天和3年(1683)第4代藩主水野勝慶公の時、今の松廼尾山に改めて福山総鎮守のお社として本殿、
  幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門など東西に同一規模、同一形式にて並び建てられ、一般に両社八幡
  とも呼ばれ、広く崇敬せられてきました。
  昭和44年(1969)両社の法人格を合併、社名も旧に復し福山八幡宮とし、神社本庁の別表神社として
  新たに発足しました。

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